自分はどうしたいのか

本当は自分はどうしたいんだ。本当は自分が何がしたいんだ。そもそ自分は何の為に勉強していたんだろう。自分は何かを知り尽くしたいと言う知的好奇心は持っているのだけども、それは持続しないし、すぐ実行できる人間でもないし、これは何の遠慮だ。遠慮するな。自分はどんな人間だ。自分は強人間ではないし、自分は強くなりたい、強くなりたい。自分の力で何かお金を稼げる人間になりたいと急にさっき思い始めた。ここ数日の意識の流れは何だったろう。あるいは、取り敢えずのカリキュラムの終了予定直前の自分の気持ちはどんなものだったろう。こんな気持になったことがあるか。自分はどんな人間になりたいと考えているのか。どんな自分でいたいと考えているんだろうか。自分はここ1週間ほどどんな気持ちで過ごしてきただろう。自分はどんな人間になりたいのか。自分はどんな人間になりたいのか。ここ数日、どんな気持ちで過ごしてきたんだろう。自分はここ数日、ついさっきまで、最終課題をやろうかやらまいか、とか、自分は就活したのかどうかとか、最終課題をやらないのは逃げなんじゃないだろうかとか、何かを勉強するときに、同時にアウトプットしてQiita等の記事にまとめて、自分が中かを勉強した過程を紹介できるようにしたいと考えていたり、最終課題より、それを200本ほどあげた方が魅力的に見えるのではないかと考えたり、最終課題を終えたとしても人としてそれは魅力的に見えるのだろうかと考えたり、最終課題を終えたとしても、それは何も知らない人がみたらただ学校のカリキュラムを終えたに過ぎないのではないかと考えたり、それなら、自分を紹介する術として自分を紹介できる何かがあったほうがいいのではないかと考えたり、本当にぐるぐるいろんなことを考えてしまって、その都度、いろんな人間が自分をバカにする妄想が代わる代わる浮かび、それらの人間に対して妄想を使うことがいっぱいあった。また、上手くいった時に、こうだから自分は上手く行ったと話す妄想もして、完全に思考の自動連想に気を取られ、完全に方向性を失っていた。自分は何かをまとめないといけないだとか、そのほうが自分にとって力がつくだとか、本当に気の迷いが多くて、本当に心ここにあらずだった。自分はどうすべきなんろうと、母親に手紙を書こうともしたし、妹の顔も思い浮かんだ。

4月に入ってから、いやAWSカリキュラムが終わってから本当に何かに取り憑かれたように勉強する自分を失っていた。そうだ。自分はどうなりたいのか、どうなりたいのかがかけていた。カリキュラムを始めるまでにはぼんやりと考えていたこと、そしてカリキュラムの途中では意識しなくても済んだことに自分は向き合わなくてはいけない。自分は何の為に勉強するのか、転職する為か、転職なんか絶対嫌だ。転職するにしても、自分の技術を生かして自分のスキルでお金を稼ぐような人間になりたい。会社の仕事をするのは本当に嫌だ。例えば、本当に自分が心からやりたい仕事が会社にあったとして、自分はその会社に就職するだろうか、自分は絶対に就職したいくない。

 

自分が就職したいと思うのはどんな時だろうか。自分が所属したい思うような会社ってどんな会社だろうか。自分の企画を通してそれでその会社を通して働くなら素敵だとは思うけど、そんな簡単に見つからないと思うし、やりたいことがあるなら自分でやればいい。

では、自分は何のために勉強しているのか。あるいは、何のために勉強するのだろうと、目標を設定できるだろうか。