SNSが流行り始めた時、20代半ばを過ぎていた

自分の能力と可塑性を持て余しているような気がする。もっと厳しい環境に身を置いて圧倒的かつ爆発的な成長をすべきではないのか。何かに身を晒すような、自分自身で自分を把握出来なくなるような経験をするべきではないのか。歳をとった今、そんな環境に無自覚だったとしても身をおけた人間が羨ましく思う時がある。若い頃は馬鹿にしていたし、可能性を消すことだと思っていたけど、何かに所属して特有の社会経験を積むことは貴重なことであり、大切なことだったなと思う。

しかし、今のように個人がアウトプットしようと思えば、発信しようと思えば何をやっていたとしても発信出来るような、誰かに、何かに気づいてもらえるような時代ではなかった。自分の中の承認欲求を満たす為にはそれは捨てる選択肢だったと思う。

これは個人的な経験ではなく、同世代の何かしらの承認欲求、誇大妄想的な肥大願望を持て余してる人間には共通する感覚ではないかと思う。ありとあらゆる仕事を横断的にしてみたい、己を焦がすように様々な仕事をしたいと思ってしまう人間ほど、本当に何かに所属することは、それ(何処かに所属して、その会社の専門的な事業に携わること)を諦め得なければならない、それを捨てなければ、ありとあらゆる仕事は出来ないと思い込んでいた時代だったと思う。本当にそうだったと思う。

だから自分と同世代の人間で、何かしらの承認欲求を満たそうと思う人間にとり、何かに所属しない、つまり、各々にとり目指すジャンルは違えど、何者かになろうとする人間には、何かしか表現を目指すしかなかったように思う。本当にそう思う。

つまり、発信側というのはごく一部に限られていて、そこに乗っかっていくような生き方目指す努力の仕方をしていたように思う。けど、今は違う。本当に違うと思う。どんな生き方をしようと、同時中継的に自分のことを発信する機具が山のようにある。

 何かに所属していても、自分の承認欲求を充しながら働くことは出来るし、それこそが横断的に仕事を可能にさせる生き方のモデルにもなっている。

 これは自分が19.20の時には思っても見なかった生き方だし、その生き方に嫌悪感を示しつつも、完全に乗り遅れているし、自分が乗りたくもないと思っている生き方が、一部ではあたり前のようなことになっていると思う。

 SNSの功罪など散々いろんな場所で語られているから今更な感じはあるだろうが、SNSが流行り始めた時には20台の半ばで、職業選択の第一段階時にそのような価値観を持つことができなかった最後の世代で、尚且つ、その時はまだ若かった自分たちの世代は、1番の煽りを食らった世代ではないかと思う。すでに世の中に出ている人たちには、その基盤を逆に上手に利用している感じがあった。

 その時期に、その選択肢は存在していないが、まだ若く基盤が整っていない時代に大人になったのが自分たちの世代だと思う。うまく利用もできる基盤もなかったし、慣れてもなかったし、これから訪れる仕組みの変化からは取り残される宿命にあった世代。本当にそう思う。

発信することは何処かに所属するという選択肢を捨てなくてはいけない世代だったと思う。そして一度どんな願望を切り捨てて何処かに所属して、その事業について働き特有の生き方をした人間が、のちに誰もが発信できる時代になった時に、固有の経験を話す資格を所有できた。こんな時代がくるとは本当に思いもしなかった。

自分がこんなことを弱音がましく話すのは、人が能力的に成長するのは、意欲か外圧か、環境か資質か、本人の意思なのか、何かの経験に無自覚的だが従事できた環境による蓄積なのか分からなくなってきているからだ。

本当に人が経験を積むとか、頭のキレをよくするとか、脳の可塑性を乗り越えて自分を破壊していくのに、環境の力ってどれくらい違うんだろうと思うことが多いからだ。自分自身で制限を作るのは本当に難しい。何をしても死ぬわけではないし、生ぬるく生きようと思えば生きられてしまう時代に、何かの制限的な生き方って何処かに所属して、外圧業務による制限的な力って本当に貴重だと思うからだ。

 無名の英雄達がいて、その人間たちは自分が子供の頃には決して見えない存在だったけど、そういう人たちは確かに存在していて、偶然その会社に入らなければ存在さえ知らずにいた人たちが昔もいっぱいたんだろう。でも、自分には見えなかった。知る機会もなかった。今は違う。無名の英雄たちが、SNSにより、無名ではなくなる現象がずっとおきている。自分の職業選択時には知ることの出来なかった先輩たちが沢山いる。

その人達は、発信することのない仕事をどんな価値観で選んできた人たちなのだろう。

誰しもが簡単な発信要求ですら満たせなかった時代で、どんなに苛烈に自己肥大欲求をぶつけてきただろうか。昔の人たちの仕事ぶりが苛烈なのはそんな事情もあるのではないか。何も知らないけど。

仕事を初めて勉強になかなか身が入らず、もう一度無職に戻り自分を追い込むべきではないかとの迷いがあって、制限の重要性も考えつつ、何かを捨ててそれに従事することでしか蓄積されない経験値の差のリスクを考えながら..ボーとしている。